本日も東京オリンピックのバスケットボール候補選手について見ていきたいと思います。
昨日の記事では、八村塁選手がバスケットボールを始めたきっかけや、NBSを目指したきっかけについて見ていきました。
更に八村選手について調べていると、比江島選手同様八村選手にもライバルがいたというのです。
NBAにも選ばれるような八村選手のライバルといえば当然気になります。
有名なバスケ選手かな?と思っていると、全然違うんです・・・
なんと、大相撲力士の貴源治賢さん!
八村選手のライバルであった貴源治賢さんとはどんな人なのでしょうか?
今回は、八村選手のライバルであった貴源治賢さんについて詳しく見ていきたいと思います!
もくじ
貴源治賢さんのプロフィール
引用:日本相撲協会公式サイト
貴源治 賢(たかげんじ さとし)
所属部屋:千賀ノ浦
本名:上山 賢
しこ名履歴:貴源治
番付:前頭十枚目
生年月日:平成9年5月13日
出身地:栃木県小山市
身長:191.0cm
体重:172.0kg
得意技:突き・押し生涯戦歴
201勝158敗(39場所)
幕内戦歴
4勝8敗(1場所)引用:日本相撲協会公式サイト
貴源治さんは、日本人のお父さんとフィリピン人のお父さんの間に一卵性双生児として生まれます。
お兄さんも同じ部屋の大相撲力士で、名前は貴ノ富士三造さん(本名:上山 剛)になります。
引用:日本相撲協会公式サイト
兄弟揃って、関取になったのは史上19組目になり、その中で、双子は初の事例になるようです。
貴源治さんは、少年時代に空手やキックボクシングなどの格闘技、中学時代はバスケットボールと様々なスポーツをやっていたようです。
貴源治さんが相撲を始めたのは、中学卒業後。
父親に勧められ、貴乃花部屋へ体験入門へ行ったのがきっかけだそうです。
平成25年3月に貴乃花部屋に入門し、初土俵を踏むことになります。
2014年7月には、元学生横綱で入門以来負けなしの「正代」にプロ初黒星をつけて、注目されるように。
その後、平成27年3月には、初土俵から2年の早さで双子の兄であるノ富士三造さんと同時に幕下に昇進。
しかし、ここで貴源治さんはスランプにおちいります。
1年間ほど勝ち越すことができず、三段目と幕下を往復することになったのです。
スランプから抜け出すために、自分がこだわっていた四つ相撲から、貴乃花親方に厳命された突っ張りの相撲に集中するようになります。
そのおかげで成績が安定し始め、番付も上昇し、平成29年5月に新十両への昇進を果たします。
しかし、またすぐに幕下に降格。
また練習に励み、2017年11月には十両に復帰。
その後、多くの勝ち越し場所を経て、2019年5月に十両優勝!
貴源治さんは、稽古熱心なところや負けん気の強さなどでも注目されているようです。
やはり、1度スランプに陥ってからのスポーツ選手の巻き返しはすごいようです!
貴源治さんのバスケ時代
中学1年と2年の(笑)
懐かしい(笑) pic.twitter.com/zdLGS1bCMO— 貴源治 78 (@takagenji361) October 22, 2014
貴源治さんがバスケットボールを始めたのは、八村選手と同じ、中学生から。
しかし、中学生から始めたにもかかわらず、茨城県選抜に選ばれる程の実力を身につけます。
この時お兄さんも一緒にバスケをやっており、2人そろって県選抜に選ばれています。
県選抜に選ばれるほどの実力があったため、強豪と呼ばれる高校からスカウトの声がかかります。
その高校は、延岡学園高等学校、土浦日本大学高等学校、福岡第一高等学校などになります。
福岡第一高校といえば、比江島選手のライバルであった狩野選手が進学された高校。
また、全国大会常連の高校になります。
相撲だけでなく、バスケも上手だったんですね。
貴源治さんは、負けん気が強いだけでなく、体格にも恵まれていたようです。
八村選手のライバルは貴源治さん!?
八村選手と貴源治さんが対戦したのは、中学2年生の時。
貴源治さんは、八村選手と対戦した当時のことを次のように語っています。
「全国にライバルって思える選手がいなくて、八村選手は(初めて)ライバルになるんじゃないかと思った」
引用:朝日新聞DIGITAL
また、大会などで会うたびに話をする仲になったようです。
そして、八村選手から「同じ高校に行こう」と誘われていたようです。
貴源治さんは八村選手のことをライバルと思っていたことが分かりました。
しかし、八村選手が貴源治さんのことをライバルと思っていたかは微妙ですね・・・
しかし「同じ高校に行こう」と勧誘していたということは、八村選手も貴源治さんのことを認めていたと考えられます!
貴源治さんのバスケの実力もすごかったのでしょう。
八村選手の成長は貴源治さんと兄の貴ノ富士三造さんが原点!?
😂😂😂😂😂 @babaseyo pic.twitter.com/LNAypP3B4D
— Rui “Louis” Hachimura 八村 塁 (@rui_8mura) August 17, 2017
貴源治さんは、八村選手のライバルだけでなく、成長の原点ともなったようです!
八村選手は、中学時代ミスに嫌な顔をしたり、負けたことを人のせいにしていたようです。
八村選手の中学時代のコーチである坂本コーチに「お前の言い方は違う。何様だ」と注意されるような選手でした。
そんなとき、八村選手は貴源治さん兄弟と出会います。
八村選手と貴源治さんが初めて対戦した中学2年生の時。
八村選手は、試合中にけんかをしながらもコートに入れば息が合い、楽しんでプレーする貴源治さん兄弟の姿を目の当たりに。
その姿を見た坂本コーチからも「ほら、相手を見てみろ。けんかしてるけど、コートに入ったら雰囲気良くなるやん」と。
その後八村選手は、恩師の教えを守り、高校でも仲間のミスを責めることなく、声を出してチームを鼓舞するようになります。
チームのことを最優先にプレーする八村選手の成長の原点とは、貴源治さん双子の喧嘩によるものだったのです。
貴源治さんは、八村選手に認められる存在でありながら八村選手の成長の原点であったというのは、とても驚きです。
では、なぜ貴源治さんはバスケを辞めてしまったのでしょうか?
貴源治さんがバスケを辞めた理由とは?
貴源治さんがバスケを辞めた理由は、衝撃的です。
なんと「お金にならないから」・・・
そんな理由で!と思いますし、この時、貴源治さんは15歳。
15歳の時にお金のことを考えて決断をくだせるなんてしっかりされていたんですね。
貴源治さん自身の言葉はこちらになります。
「バスケでは金にならない。体を使うことが好きだったので、体を使って親孝行したかった」
引用:wikipedia
お金だけが理由では無いかもしれませんが、堂々とこの理由を言ってしまう、貴源治さん。
スポーツができるだけでなく、面白い方なのかもしれません。
貴源治さんの活躍にも期待です!
一体どんな人なのでしょうか?